特 集

【歴史さんぽ】
織田おだ有楽斎うらくさいゆかりの幻の城「大草城」ってどんなところ?

織田信長公の弟、織田長益ながます(有楽斎)が着手し、未完のまま廃城となった「大草城」。現在は公園として整備されていますが、そこには当時の遺構が見られ、ありし日の様子を想像することができます。公園を散策しながら、しばし歴史の風を感じてみませんか。

歴史的にはまだ謎多き城

知多市と常滑市の市境、伊勢湾を望む小高い丘に市民の憩いの場所「大草公園」があります。この公園を中心とした一帯は、安土桃山時代の城「大草城跡」として知られています。
  • この「大草城」は謎多き城で、いつ、どういう経緯で築かれたのか明確には分かっていません。

    築城の頃から年月が経ってから記された江戸時代の書籍「尾陽雑記(びようざっき)」には、「大草城は織田信長公の弟・織田長益の住まいとして築城された城で、土木工事が終わったところで世が乱れて築城は中止され、そのまま廃城となった」ということが書かれています。
  • また、名古屋市蓬左文庫所蔵の「知多郡大草村古城絵図」には、江戸時代前期頃と考えられる大草城の土塁、堀などの様子が描かれています。

    ここで気になるのは、城主であった織田長益なる人物。彼はのちに有楽斎となり、格式高い武家茶道を極めた人で、京都建仁寺けんにんじに建立した国宝茶室「如庵じょあん」(現在は犬山に移築)が有名です。大草城でも茶室を設けるつもりだったのだろうかと思いめぐらしますが、この城は、建物の建築に至らなかったので、それすらも想像の域を出ません。(いつから茶の道を極めていったのかも、不明なのだそうです…)

    しかし、だからこそ、歴史好きにはたまらない城でもあります。目の前にその姿がなく、しかも事実が分からないからこそ、歩くと見えてくることがたくさんあります。

    土塁や堀から城を想像してみると

    まず、素晴らしいのは「土塁や堀などの遺構がある」こと。
  • 堀の遺構

    堀の遺構
  • 廃城後の寛文8(1668)年、大草城西側に屋敷を構えた尾張藩の家老・山澄氏により立ち入りや草木の伐採が制限されたことで、その後江戸時代を通じて遺構が保存されたことや、昭和54年に知多市が公園として整備したことから、遺構が良好な状態で残されました。堀のかんがい池化や開発などの改変は行われつつも、敵の侵入を防ぐための土塁や堀もはっきり分かります。

    公園内の土塁上や堀沿いには遊歩道が整備されており、高低差を体感しながら、どんな城を造りたかったのかを想像しながら歩くのは、とてもワクワクします!
  • こちらの主郭(曲輪・本丸)の部分はグラウンドになっています。ここに織田長益の屋敷を造るつもりだったのでしょう。100m四方近い正方形の大規模な主郭で、さすが織田信長公の弟君の城として相応しい立派なものだったのではないかと想像させます。
  • 大草公園

  • ちなみに、主郭には天守風の建物が建っていますが、これは展望台として建てられたもので、当時を示すものではありません。しかし、展望台からは海が見え、当時から伊勢湾を見渡せる素晴らしい立地だったと分かります。

    おそらく当時も海を間近に感じられる小高くなった場所に、城を築こうとしたと思われます。大野水軍を指揮する長益が、大野湊のそばに拠点を持つのは当然であり、大草城により伊勢湾をガッチリ押さえることが、重要な戦略だったのでしょう。
    天気が良い日は夕日もきれい!
    • 大草公園

    • 大草公園

    知っているともっと楽しめる!

    <check!> 近くの大野城との比較も楽しい
    ちなみに、知多半島に遺る城は、ほとんどが戦国時代以前に建てられた山城だそうです。山城は、軍事的な目的のもとに山に建てられた城のことです。
    ところが、大草城は、それらとは違った特徴を持つ知多半島唯一の平城。家臣や村人を城の近くに住まわせ城下町を意識したつくりになっていることや、全体を囲む堀と土塁など、安土桃山時代(織豊時代)に築かれた近世城郭の特徴があります。この大草城から約1.3kmのところに、山城である大野城(常滑市)があるので、ぜひ大草城と比較してみてください。
    <check!> 知多黒鍬衆の土木技術が採用されているかも
    現在、公園内では主郭(本丸)、二ノ丸、土塁、堀を見ることができますが、三ノ丸を巡らしていた土塁は壊され堀は埋められ、民家や道路となりました。この三ノ丸の土塁の一部を発掘調査した際には、土塁の基礎部分に40~50㎝のコンクリートのように固く締まった層が発見されました。このような土木技術は、知多半島の「黒鍬衆」が優れていたとされていたため、もしかしたら、ここでも招集され、その力を発揮していたかもしれません。大草城は、石垣は用いられず、土塁によって防御したことから、強固な土塁を築くことが築城の上で非常に重要だったのでしょう。
    城にまつわる様々な謎を、歩いて解き明かしていく歴史探索の旅。
    大草城には、まだまだ面白い秘密がありそうですね!

    大草城を訪れたら、記念に「御城印」はいかが?

    • 御城印

    • 御城印

    大草城は管理者の常駐しない公園なので、現地では頒布されていませんが、知多市観光協会・慈光寺・㈱縄文堂商会で受け取ることができます。(税込300円)ぜひ立ち寄ってみてください。

    ●アクセス (大草城跡)

    ●電車でのアクセス
    名鉄「大野町駅」下車徒歩約10分
    ●車でのアクセス
    名古屋から西知多産業道路(R155)を南下、旭南5丁目より約3分